教育と洗脳

教師は特段に優秀な人間ではなく、教育と洗脳が紙一重であるというのが私の考え方である。これは私の経験に基づいており、学生時代から今でも変わっていない。勿論、こんな考えを口外することはないが。

基本的に教師は頭の良い生徒よりも、自分の言うことを聞く素直なイエスマンの生徒が好きである。それどころか、頭が良い生徒は教師よりも優秀であることが多々あるので、教師を見下すようになり、それに連動して教師がそのような成績が良い生徒を嫌いになるという悪循環が生まれる。しかし客観的に見れば、教師のくせに生徒である自分よりも頭が悪い人間の言うことを誰が聞くのだろうか。成績が良くて、相手がどのような人間かをよく観察する生徒は、このようになる傾向がある。これは生徒が悪いのではなく、馬鹿な教師が悪いのだ。そのような生徒は馬鹿な教師など相手にしないで、自分が認める人間の助言を聞くことがベストなのだが、なかなか理想通りにはいかないだろう。

 

私の経験談を1つ書こうと思う。高校時代の部活の話しだが、女顧問のAは非常に感情的で人間的にも最低ランクの人間であった。教師として本採用されておらず、講師として私の学校で働いていた。体育教師であり、部活の顧問が生きがいのような人間で、部活の時間にとても注力していた。しかし、人間的に頭が悪く、偏差値もFランの様な大学の出身であり、教員採用試験に受からないのも納得であった。受からないのは当然としても、あんな底辺を講師としても採用してはいけなかったのだ。感情的になると話が通じず、嘘も平気でつき、教師と生徒という立場を利用して自分の意見を全て通してきた。しかも最悪なのが、自分の1つ上の代の先輩に頭の良い人がいなく、明らかにおかしいことでも認めてしまうことであった。後輩からは言いにくいし、後輩を守るために自分が顧問に意見しようという人が居なかったのだ。体育会系の底辺に多い現象である。卒業した後も、あの人たちはろくな人生を歩んでいないであろう。底辺の人生を歩んで、悲しく生きていくしかないのだ。まあ馬鹿だから仕方がない。自分が先輩の立場だったら、絶対に顧問に意見していた。そのようなことができなかったあいつ等は、人間のゴミである。顧問も頭が悪いので、底辺の人生を歩むことになるであろう。色々な人から恨まれているであろうから、物騒なことになるかもしれないし、幸せな人生は送れないだろう。