優秀な人が就く仕事

私は前から教師という職業の給料は上げるべきだと考えている。最低でも1000万は貰うべきであろう。理由は主に2つある。

1つは仕事量の多さである。自分が学校に通っている時は教師の主な仕事は授業であると思っていたが、実情はそうではないらしい。授業は二の次で、事務作業や保護者の対応、学校運営などが主な業務内容らしい。さらに、部活動の顧問を担当している者は、それに加えて土日にも仕事が入ってくる。これは民間企業もビックリのブラック度であり、絶対に首を切られないという福利厚生があっても文句は言えないであろう。それでも現在教師の数が足りていなく、仕事量が増加傾向にあるらしい。

2つ目は質の確保である。現在の教師の給料では、優秀な人材が集まらない。普通に考えれば、民間に就職した方が給料も福利厚生も良く、仕事も楽なのだから、教師になる理由が無いのだ。その結果、でもしか先生のような質の低い教師が増えていくのである。子どもの成長を見守るという非常に社会的貢献度が高く重要な仕事なのに、レベルの高い人は教師にならないのである。一般社会の常識として、勉強ができる人は教師にならないというものがある。勉強ができる人は教師なんかよりも、もっと割の良い仕事があるからだ。これは私も上京してから実感したことである。偏差値の高い大学の学生は、教師を目指すという選択肢がそもそも無いのだ。多分、小中高と自分よりも頭の悪い先生を見てきたので、そのような世界で働きたくないという気持ちがあるのだろう。都会になればなるほど、選択肢が多い分教師になろうという優秀な人は少なくなるだろう。まあ、無料に近い公共サービスに期待するなという意見もあるだろうが、、、そればらば教師は生徒に授業のみをすればよいのであり、その授業を受けるも受けないも生徒の自由に一任すればよいのである。人間誰しも自分よりも頭の悪い人に教えてもらいたくないだろう。だから、授業だけをして、宿題も出さずにテストの点数のみですべて決めればいいのだ。

 そもそも、教師になる人はどの様な人なのだろうか。基本的に他薦ではなく、自分で教師になりたいと思って採用試験を受けるのだが、それは自分が人を教育するにふさわしい人間だと思っているということだろう。変わり者である。このことからも、教師は思想的にも能力的にも高くない人の仕事であるのだ。そんなレベルの人達の仕事に期待をしても仕方ない。私は、試験制度を変えるべきであると思う。最低でも修士を持っている人で、他薦が必要に受験資格を変えるべきである。そうすれば、現在のような馬鹿が就く確率は減るだろう。その代わり、給料を上げれば優秀な人が増えていくだろう。

言っても分からない

最近のニュースで、教師が生徒を殴った動画が話題になっていた。私もその動画を見たが、生徒の口の利き方に非常に問題があり、殴られても仕方がないと感じた。言っても分からない奴には、手を出すしかないのだ。高校の偏差値もそれほど高くない所のようだし、あのような生徒がいても仕方ないのかもしれない。あの生徒の親の顔が見てみたいものである。生徒は退学、教師は減給が今回の落としどころであろう。きっと世間の声も(子供を無条件に守ろうという思考停止者以外は)同じようなものであろう。

 

私の周りにもSという今回の生徒と似たような人間がいる。能力も無いのに屁理屈ばかり言って、自分の考えと違う人を否定するしかできない無能である。だからきっと就職もできないのであろう。彼はもういい年だが、学生時代に今回のニュースの教師のような殴ってくれる人に出会っていれば、無能でももっとましな人生を歩めたのかもしれない。

勘違い

世の中には多くの勘違いしている人間がいると思う。

そのような人を見ると私は非常に不快になる。本日の記事はそれについて書こうと思う。最初に頭に浮かぶのは、Nだ。まず私はNが生理的に無理である。Nは自分が優秀であると勘違いしているが、能力的には平均以下である。確かに努力もしているし、真面目な性格なのだろうが、能力が伴っていない。早い話が真面目系屑、無能なのである。まず顔面偏差値が異常に低く、話し方などの振る舞いも気持ち悪いのに、自分が優秀だと思い込んでいて話の中心になろうとする。無能と言うのは私の感情ではなく、実際に結果が出ているものである。私の人生の中でも、あれだけ真面目な性格なのに結果が伴っていない人は見たことがない。まあ生まれ持った能力がないのであろう。これは本人は何も悪くなく、仕方ないことなのだが、数十年も生きてくれば自分の能力がなんとなく分かるものだと思うが、多分これまで歩んできた人生が浅いので気付けないのであろう。可哀そうである。Nは友達にも仕事仲間にも要らないタイプである。はっきり言えば、周りに迷惑を掛ける側なので、外に出てきてほしくない。Nについての記事を書くだけでもフラストレーションが溜まるので、このくらいにしようと思う。

 

このような生理的に無理な無能との付き合い方を誰か教えてほしいものである。

一緒に行動したくない人

私は決してエリートな道を歩んできたのではなく、田舎に生まれて地方の公立中高を卒業し、大学進学を機に上京した身であるので、色々な身分の人と関りがある。つまり、非常に幅広い質の人間と関わっているのだ。上京した際には、地元の田舎よりも優秀な人が東京には多くいて、そのような人たちの中に自分が混ざれることが楽しみだったが、実際には東京の方が人数が多いので優秀な人の数が多いだけで、比率はそれほど変わらないのだと感じた。(まあ若干東京の方が比率も高い気がするが。)

そこで今日は、私が今まで出会ってきた人の中で、一緒に行動したくない人はどのような人かを挙げていこうと思う。地元から1人,上京して出会った者から2人を挙げる。

 

先ずは、地元の友人であるNだ。Nとは同級生で、大学は違えど同じタイミングで上京したので、上京後も関係性は続いていた。Nは一言でいえば根性が無く、人としての芯が全く無い人間であった。大学のイベント系の主催のサークルをやっていたのだが、なぜかあのようなサークルには屑が集まる法則があるらしい。また、Nは人の陰口を非常によく言う人間で、周りからも良くは思われていなかった。Nは大学を卒業後就職したのだが、やはりなかなか内定をもらえず、年末にやっと1つもらえたはずであった。Nはそこに就職したのだが、確か2か月持たずに辞めたのだ。そこから数か月おきに仕事を転々とし、1年で4社ほど入退社したと記憶している。それらの仕事をしている間にも食事などをするために会ったが、公務員になりたく仕事をしながらその勉強をしているという話しも聞いた。結局都会では通用せず、大学卒業後1年間フリーターをして、地元に帰っていった。親が可哀そうである。そこから地元で公務員を目指すために学校に通ったが、結局受からずにいまは他の仕事をしている。いまも他の仕事をしながら公務員を目指しているのかは謎である。Nは自分が全て正しいと思っている人間なので、人の意見を聞かない所か意見されると機嫌が悪くなるのだ。私はそれを分かっているので、相手にはしていなかった。Nは元々都会で通用するスペックも人間性も無いのに、なぜ上京したのだろう。完全に時間とお金の無駄である。新卒社会の日本では、1年に4社も辞める人間はもうまともな民間には就職できないであろうし、Nの能力では公務員も無理だろう。まあまともな人生を送る確率は非常に低い。共通の友人もいるので縁を切ることは難しいかもしれないが、私の今後の人生にはあまり関わってもらいたくないレベルの人間である。足を引っ張られたくないので。

 

次は上京してから出会ったSである。彼は同じ大学なのだが、他の周り大学の友人と比べて非常にレベルが低い。きっと、親が金持ちだからなんとかやってこれたのであろう、絶対に一人っ子だ。簡単に言うと、金魚のフンのような奴で、私が他の友人と一緒に居る時でも顔を出すだけでなく、その場で我が物顔で振舞うのである。勿論、その中には共通の友人はいない。さらに、自分の見たいようにしか物事を見れずに、承認欲求が非常に高い。自分の非を全て周りのせいにして、「仕方ないよね?」と同意を求めてくる。私から言わせれば、全てSが無能なせいであり、周りの責任は全くないことである。しかし本人はそれに気づいていない。幸せ者である。しかし、よく巷で言われている無能やバカほど幸せであるというのは、その反作用として周りを不幸にしているのである。なので私は、無能やバカだから幸せである人間のことは非常に嫌いである。まあこんなSからでも反面教師として学ぶことはある。世間で優秀と言われている層の中にも、少数のどうしようもない無能が混じっているのである。これを肝に銘じて、肩書だけで人を判断しないように、しっかりとした人間判別力を付けなければいけないだろう。

 

最後に、これもまた上京してから出会ったKである。Kは一応年上なのだが、視野が非常に狭く、自分が経験してきたことがこの世の全てだと勘違いしている人間である。しかも厄介なのが、何の役に立たないアドバイスを先輩風を吹かしてしてくるのである。Kは就職が決まったのが非常に遅く、確か年末か年明けであった。視野が狭いKは、就活はそのくらいの時期までかかることが普通という認識になっていまい、私に今の時期まで求めてもいない就活のアドバイスをしてくる。就職を決まったことを報告すればいいのだが、Kの勤めている所と比較することになり、それはKに悪いので就職の話は簡単に流すようにしている。Kは自分が私よりも上であると思っているのだが、年しか誇るもののない奴は得てしてそのような傾向がある。可哀そうな人生である。交友範囲と視野が狭いのであろう。常識も欠けていて、一緒に居て恥ずかしいことが多々ある。まあ遊び相手として使っていこう。

 

このように文章にしてみると、私の嫌いな人は視野が狭く経験が浅いせいで、周りの状況が掴めていない人なのだろう。言い換えれば、単純に学力的な意味でなく頭が悪い人である。このような人たちは人の足を引っ張ることを何とも思っていない、いや足を引っ張るという感覚すらないのである。頭が悪いから。私も付き合う人を選ばないといけない時期にきたのだなと思った。

続・失敗する人のカテゴライズ

前回の記事から間が空いてしまったが、続きである。

記事を書いていない間は、特に私生活に不満は無かったのだが、今回不満に思ったことがあったので、記事を更新する。

 

失敗する人、言い換えれば成功していない人は、なぜ共通して攻撃的なのだろうか?

私の周りに、進路で上手くいっていない人がいた。その人と話す機会があったのだが、精神的に参っているのか非常に攻撃的になっていた。攻撃的になることは、人間としては仕方のないことなのかもしれないが、自分が上手くいっていないストレスの吐け口を周りの人に向けても何の解決にもならないことは少し考えれば分かるだろう。それを何も考えずに、周りの人を攻撃することで発散しようとすることは非常にレベルが低い行動である。その人とお酒を飲む機会があったのだが(半強制的に同じ場にいないといけなかった)、お酒のせいもあって愚痴を聞かないといけなくなった。愚痴の範囲が大きくなってきて、私に対しても愚痴を言ってきた。周りに人がいたので何も反応しなかったが、私の機嫌は悪くなった。そして、この人のスタンスでは成功しないし、周りからも人が離れていくだけだと感じた。ここで簡単に、その人の特徴をまとめておこう。

 

・自分に非常に自信があり、周りのひとを見下している。

実際に私から見れば、その人の実力は良くて中の上である。平均から見れば優秀なほうだが、人を見下せるほどではないし、そもそも本当に優秀な人は人を見下さない。なぜなら見ている世界が広いので、自分よりも優秀な人間を多く知っているからだ。この人は単純に視野が狭い。

・自分を優秀な人の集合に入れたいのか、やたらと自分の仲間を増やす。

自分たちは~、と言うように自分が優秀な人の仲間であるかのように話をする。はっきり言って、その集合から見れば該当者は格落ちもいいとこだし、自分もその人と同じカテゴリーに入れてほしくない。自分がいないとこでその人と自分が同じ考えであるかのように第三者に話されていると思うと、非常に恥ずかしいのでやめてほしい。

 

まあいい反面教師を見つけたと思って、精進していこう、そして、その人がこれからどうなるかも、高みの見物させてもらおうと思う。

失敗する人のカテゴライズ

世の中には、成功する人とそうでない人がいる。個人的な意見だが、成功しない人には共通することがあると思う。今日は身近な失敗した人のパターンを分析し、反面教師にしようと思う。

まず1つに、視野が狭い人である。言い換えれば、物事を自分の見たいようにしか見れない人。身近にそのパターンの人がいて、話しはするけれど、心の中では人生経験が浅いんだなと思っている。例えば、「公務員は良い職業」と頭にインプットされてしまっていて、実際に働いている人の話を聞いたわけでもないのに、公務員はいいなぁと言っている人がどこの集団にもいるだろう。これは、バブル世代の人に多いイメージがある。特に学校の教師なんかがよい例で、一年の半分が休みだと思っている世間知らずがいるのだ。(しかも、バブル世代なので結構な年齢である。そんな人が矯正もされずに生きてこれたのだと思うと、つくづくバブルの時代は良いものであったのだと実感できる。)きっとこのような人たちは、ほかの人から真実を伝えられているはずなのに、思考停止してしまっているので入ってこないのである。とても哀れに思う。あと単純に人間関係が希薄ということもあるだろう。他にも、自分が失敗したことに対して、「失敗したほうが良かった。」と言って他者から同意を得ようとする者もいる。勿論、結果的に失敗したほうが良かったということはあり得るが、それは長い目で見たときに初めて分かることであり、少なくとも失敗した直後に言う言葉ではない。早い話が失敗を生かす気がないのである。そういう人に私は口では同意するが、きっとまた失敗するなと思っている。

2つ目に、人にマウントを取りたがる人である。アドバイスと言えば聞こえはいいが、それは相手が求めて初めてアドバイスとなるのであって、勝手にしてくるアドバイスは余計なお世話だし、マウントを取っている他ない。自分も他人に対してもっとこうしたほうがいいなと思うことはあるが、求められるまでそれは口に出さない。それに、人間は自分から求めたものしか参考にしようとしないのである。これも少しの人生経験と思考力があれば分かると思うが、驚くほど分かってない人が多い。きっとマウントを取らないと自分が維持できない可哀そうな人なのだろう。

3つ目に、謙虚でない人である。これは巷でもよく言われているので簡略化するが、自分が未熟であると認識することで人は成長するのである。口では何を言ってもいいが、心の中では自分はまだまだ未熟であると考えるべきだ。また、ビッグマウスなのに結果を出している人は、ほとんどが心の中では非常に謙虚である。

4つ目に、自分の非を認めない人である。これは仕事でも私生活でも成功しない。私の周りにもこのパターンの人がいるが、全員無残な結果になっているし、これからも成功することはないだろう。

最後に、他人に期待しすぎる人である。これは4つ目とも被るところがあるが、他人が何でもしてくれると考えて言える人は、失敗も他人のせいにしがちである。そこから自分は悪くないという思考になるので、経験がすべて無に返る。そして何度も同じ失敗を繰り返すのである。下手したら退化することもある。

 

以上が私の考える成功しない人のパターンである。大まかな分類なのでもっと細かくできるかもしれない。中には全部当てはまっている人もいる。そのような人とは、遊びでは会ってもいいがどこかで距離を置くべきだろう。また、これに加えて直ぐに感情的になる人も成功するのは難しいだろう。これらを反面教師として、日々精進していきたい。